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関西テレビが1958年(昭和33年)11月22日の開局以来撮影してきた自社のニュース素材、および教養番組の素材をもとに、関西の変遷を振り返る。
番組は5日間連続で放映。昭和を時代別に分け、人々の営みの変遷を市井の人々の生活や街並みを通じて、その当時の時代の空気を映し出す。また、必要に応じてアーカイブ映像の現在の場所や、当時の撮影・取材にあたったカメラマンやディレクター、取材対象者の証言も交え、取材当時に感じたことや裏話なども新たに取材。
使用予定素材は1958年11月の開局から昭和天皇崩御(1989年1月7日)まで。
公害や交通戦争・住宅問題・学生運動などさまざまな問題を抱えながらも、人々が科学に希望を持ち、未来に夢を見ていた時代であった「昭和」。記録映像を通じて、ある人は懐かしんだり、またある人はその変貌に驚いたり、様々な世代にとって興味深い内容となっている。
開局(昭和33年=1958年)から東海道新幹線開業(昭和39年=1964年)までの記録を放送。
「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年代前半。しかしまだ終戦後の匂いを残しつつ、街は急ピッチで変化していった。
開局の年(昭和33年)は、売春防止法施行の年でもあり、その後の旧遊郭の様子もフィルムに収められている。また、この時代は重化学工業を優先し大阪湾が埋め立てられ、輸送力アップのため大阪市内の川が埋め立てられ阪神高速が建設された時期でもあった。今は消失した近郊の潮騒や市内を流れていた川の最後の姿が記録されている。
このほか、当時の人々の買い物や娯楽、子どもたちの様子を伝える貴重なフィルムも放送。
<語り>七世 竹本住大夫(人間国宝)
昭和40年代前半−街から古いものが消え、新しいものが生まれる槌音が聞こえてきた、まさに「高度成長時代」絶頂期の記録。
大阪市電・淀川の渡し船・道頓堀の牡蠣船…が消えていき、阪神高速が開通、山陽新幹線着工、各ターミナルに地下街が次々と建設され、1970年の万博に向け、街が新しく生まれ変わる時代でもあった。その急激な変化は同時に矛盾をはらみ、公害や交通事故や物価高が社会問題となり、学生運動や市民運動、消費者運動が大きなうねりをたてていた時代でもあった。
<語り>三代目 桂春団治
70年の万博は経済大国となった日本の復興・繁栄を世界に知らしめるものだった。しかし、このころから60年代への反動が起きる。
公害問題は政治問題となり、各地で革新系知事が誕生、さらに列島改造ブームによるインフレと第一次石油ショックで人々の生活は苦しくなった。この時代に巷に流行したのは、ボウリング・日本海・ベルばら・インベーダーなど。民間マンションの分譲が一般的となり、人々の住まいが変わり始めた。あわせてこの時代に消えていった神戸・京都・阪神間・和歌山の路面電車の様子も放送。
<語り>桑原征平
不況が長引いた80年代前半。全国的に中学校が荒れ、校内暴力が吹き荒れた時代。
この時代に成功したのは神戸の「ポートピア81」。地方博として大成功をおさめ、「株式会社神戸市」が絶頂を迎えた時期でもあった。
85年、阪神タイガースが21年ぶりに優勝し町がお祭り騒ぎになったころ、内需拡大政策が図られ、人々に「財テク」という言葉が流行。NTT株の上場、地価の高騰…80年代後半はバブル経済へと突入していく。また、「新人類」と呼ばれた若者たちが入社し、若者たちにも大きな変化が現れる。そしてちょうどバブルが絶頂期に差し掛かったころ、昭和は64年目の1月7日に終焉を迎える。
<語り>鈴木正勝
第一次釜が崎騒動・グリコ森永事件・山一抗争などを、当時取材にあたった記者やカメラマン、取材対象者のインタビューを交えて振り返る。
また、1972年に起き、8年後時効となった「ニセ夜間金庫事件」では、あらたな事実が…。
<語り>杉山一雄
協力:関西テレビ社友会 他
編集:芳本武
新規撮影:小松和平
構成:戸田学(11月17日放送と11月18日放送分)
企画・プロデューサー・ディレクター:土井聡夫