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故障で大学を中退し、一度は野球をあきらめた男が五輪の日本代表に。
それを支えた人々の思いと、藤本自身の手によって綴られた日記手記を元に知られざるアテネでの戦いを描くとともに、藤本敦士という野球人の魅力とその原点を描く。
2004年8月アテネ。阪神タイガースの藤本敦士は長嶋JAPANの一員として戦っていた。まさか自分が…。
昨年、ショートのポジションを勝ち取り、優勝を経験。3割も打った。
開幕前、ルーキー鳥谷とのポジション争いにも「結果」で大きくリードした。
しかし、今季、開幕スタメンに藤本の名前はなかった―。
自分がスタメンで出られないことを悟った藤本は眠れない夜を何日も過ごす。
大学を怪我で中退、野球を一度はやめようと思った。故障を克服しドラフト7位で入団。元々、自分には周りから大きな期待はなかった。だからこそ、やってやろう…。
キャンプ初日からずっと使い続け、真っ黒になったグラブの手入れ用のタオルが腐りかけた藤本の心を何度もつなぎとめていた。
開幕5試合目、途中出場した藤本はそのがむしゃらなプレーで首脳陣、そしてファンの心を打つ。そして開幕6試合目にして、スタメンの座を奪取。今季も虎の不動のショートストップとして輝きを放ち始めた。
そして、やってきた驚くべき長嶋JAPANへの選出。
3週間もチーム離脱を余儀なくされ、一度つかんだポジションを手放すという不安。
しかし、それ以上に芽生え始めた日の丸を背負う想い、混沌とする野球界を救うための使命感…。
3年前、藤本と同じ入団会見の場でともに活躍を誓い、苦楽をともにしてきた親友でもある赤星憲広。
「藤本が金メダルを獲って来てくれたら…」前回のシドニー五輪に出場し、メダルがかかった試合での走塁ミス。アテネでのリベンジを誓っていたチームメイトの赤星憲広は五輪代表に落選した際、こう語った。
「プロ野球選手」という夢は西明石で焼き鳥店を営む父親の夢でもあった。
大学時代、腰を痛め中退することになった際は、「ごめん、もう無理だ」と涙ながらに父親の下へ電話が。
そして、今季開幕前には、深夜またしても電話が。「俺、もう試合でられへんわ」。
しかし、苦境を乗り越え、息子は、自分のヒーローとなっていた。
父親は、この8月、焼き鳥店を3週間休むことになった。
父子2人3脚で歩んだ夢は、いまアテネの地で、さらなる高みを目指すことに。
リベンジを果たせなかった赤星の思い、いつも心の支えとなった両親の思いを背負って、負けられないアテネでの戦いに藤本は挑んだ。
想像できないほどのプレッシャーの中で藤本がつかんだものとは?
苦境に陥れば陥るほど、その輝きを増す―「雑草」藤本敦士がみせてくれたものとは?
この3週間で藤本敦士が得たものは?メダル?それとも…。